臨済宗本鏡山
常福寺

ロゴ画像

常福寺ライブ

最新のお知らせ

日時
2023年11月11日(土曜日)
時間
18時開場/18時半開演
料金
3,000円
出演者
■山崎阿弥 (声)
声のアーティスト、美術家。自らの発声とその響きを耳・声帯・皮膚で感受し、エコロケー ションに近い方法で空間を認識する。空間の音響的な陰影を変容させ、世界がどのように生成されているのかを問う。ACC、国際交流基金フェロー、瀬戸内国際芸術祭2019、「語りの複数性」(東京都渋谷公園通りギャラリー、2021)、「KYOTO STEAM2022」(京都 市京セラ美術館)、「JAPAN.BODY_PERFORM_LIVE」(ミラノ現代美術館、2022)、クリスチャン・マークレー「マンガ・スクロール」歌唱(江之浦测候所、東京都現代美術館、2021/2022)、Hirshhorn Museum起工式(2022)など。G&A Mamidakis Foundation Art Prize 2023受賞により作品が永久展示されている。
■石川高 (笙)
宮田まゆみ、豊英秋、芝祐靖各氏に師事し、雅楽の笙と歌謡を学ぶ。1990年より笙の演奏活動をはじめ、国内、世界中の音楽祭にて演奏を重ねてきた。雅楽団体「伶楽舎」に所属し、笙の独奏者としても、即興演奏など様々な領域で活動を展開する。和光大学、学習院大学、沖縄県立芸術大学にて講義を行い、朝日カルチャーセンター新宿教室「古代歌謡講座」を担当している。2021年3月には、イタリアのトポロを拠点に開催された24時間ストリーミングフェスティバル「ToBeContinued」に参加。2023年9月には、リスボンのグルベンキアン現代美術館にて開催された「Engawa A Season of Contmpory Art from Japan」に参加し、山崎阿弥と共演している。
■竹田賢一 (electric大正琴)
1948年東京生まれ、片肺日本人。電気大正琴即興演奏家。1975~76年の<学習団>、79~81年の<Vedda Music Workshop>以来、マルチメディアを志向したパフォーマンスを試行。反ポップ・パンド<A-Musik>、ノイズ・ユニット<Musica Gialla>、即興&歌<Cambiar para siempre>をはじめとする音楽、演劇、批評、舞踏、ダンス、パフォーマンス・アートなどの境界領域で活動を続ける。2002年・千賀ゆう子企画ポーランド・ギリシャ公演、カンプ・ナーゲル国際演劇祭(ハンブルク、w/DA.M)、04年・キルギス国際芸術祭(w/DA.M)、14年・カンウォル峠オデッセイ(蔚山)、18年・Asia meetsAsiaインド・ツアー、19年と23年・blurborders(タイ)等に参加。この1年は、小林嵯峨、太陽肛門スパパーン、足立智美、吉野繁、天鼓、桜井真樹子、伊宝田隆子、山崎阿弥らと協働作業を重ねた。音楽批評集『地表に蠢く音楽ども』。
ご予約は常福寺にお電話ください
電話番号 046-251-5530

ダンス / 山田せつこ氏

現代音楽 金沢健一氏(彫刻・演奏)永田砂知子氏(演奏)

常福寺ライブは22年目を迎え、現在までに舞踏、現代音楽、講演会を中心に35回開催されてきました。
寺と現代芸術という、一見ミスマッチと思われる取り合わせは、「臨済禅と現代芸術」というように視野を狭めたとき、大きな意味合いが生まれます。

意味の判らない話のことを一般的に「禅問答のような」と表現いたします。

「言葉」は便利な道具である反面イメージ的な制約を作るため、体験した感覚をそのとおりに伝えようとするときには逆に障害にもなります。
禅語の中には「八角の磨盤空裏を走る」等という意味不明の言葉が有ります。二元対立的な科学的思考では理解されない活き活きとした感覚がこの言葉には含まれています。
芸術は鑑賞されるものであるとともに、作る側にとっては究極的な自己究明の結果の表現だと信じております。
また現代芸術と呼ばれるものの一部は大変禅的な要素を多く含みます。それは表現されるものの余分な形式を省き、極限まで本質を端的にシンプルに表現していこうとする姿や、私たちが日常的に使用している慣用的表現方法に捕らわれまいと努力する姿等にみられます。 これは正に禅ではないでしょうか。
禅はある意味においては自己究明の場です。その結果得られたものを過去の偉大な禅師たちは墨跡や庭などの芸術という型に変えて現代に伝えています。

私たちに植え付けられた科学教ともおもわれる理解の枠を超え、言葉という限定された表現方法を超え、活き活きと表現される現代芸術を、本来そうであるべき禅の寺で体験するとき、何とも言えぬ一体の雰囲気を感じることが出来るはずです。
本堂の扉を全て外し、外界と一体と成った雰囲気の中で、5分程の坐禅を行い、呼吸と心が落ちつき空間と観客が一体に成り微妙なものを受け入れられる状態になったところから公演が始まります。
一切の説明を省き、そのものに直接触れる禅寺での一時を、是非多くの方が体験されることを期待致します。