常福寺ライブより  平成十六年四月三日に行われた常福寺ライブの公演をまとめてみました。

今年は評論家で作家の柳田邦男氏、NHKの元お天気解説者で気象学者の倉島厚氏そして精神科医の香山リカ氏にご参加頂き、「Memento Mori死を想え」と言う題でご講演頂きました。

柳田氏は大切なお子様を亡くされております。倉島氏は奥様を亡くされご自身が欝病となりその病苦を乗り越えて来ました。香山氏は精神科医としてご活躍と共に著作活動や多くの評論をてがけています。

けっして答えの出る問題ではありませんが社会の指標となる方々の思いや考えを覗いて見たいと思います。

 

「Memento mori 死を想え」

倉嶋 厚さん

くらしま あつしさん 気象学者、天気キャスター。24年生まれ。理学博士。著書に「風の色、四季の色」(丸善)ほか。

 7年前最愛の妻ががんで亡くなり、その後、深刻なうつ病になった。自殺を図り、10日間、14階のマンションの屋上まで通った。周りの人が気付き、精神神経科に四カ月入院した。その経過を「やまない雨はない」(文藝春秋)に書いた。

 長野市生まれで、父は仏教新聞を出していた。10人兄弟の9番目の息子で、父50、母40歳の時の生まれ。悩み多き少年時代は当時で言うと脳神経衰弱で、あの家の9番目の子は近寄らない方がいいよといわれた。

 父が私を呼んで「厚、皆からおかしいと言われるが、どういうことなんだ」といい、大きな紙を持ってきて「心配なことを時間順に書き込め」といった。私は、今週の軍事教練が恐い、来週の武道が恐い、学期末試験が……と書き、最後に徴兵検査と書いた。父は縦に書いてくれ、「こう書いたら心配事は1つじゃないか、今までは横に並べて何もしないで、あれも恐いこれも恐いと、おどおどしてるだけ。縦に並べてやってごらん」と。

 恐いところと想像していた徴兵検査は、実際には予想外だった。中央気象台の養成所があり、試験に受かり、気象学を勉強した。静岡県浜名湖で半年間訓練を受けた。

 父は「諦めることはそう悪くはないよ」といった。諦めるとは、物事を明らかに見て、納得して、心を安らかにすることだ。「和して同ぜず」ともいった。社会に出たらいろんな物差しに出合う。お前の物差しと違うこともあるだろう。その時に人の物差しに心ならずも従って、悪いことをしたり窮地に陥っても、弁解がつかない。自分の物差しを上手に貫き通せ、と。

 気象庁に入ったり、NHKに入ったり、私としては良い仕事が出来たと思っている。結婚してから肺結核、胃かいよう、喉頭がんになりながら仕事が出来たのは、妻のおかげだ。男は外、女は内を守るのが当たり前と育ったので、全然家事が出来ない。全て妻がやってくれた。例えば引越しでも、私は先に行ってしまい、妻が後から荷造りして送ってくれた。男の美学と思ってきた。

 妻が死んで、本当に参った。茫然自失。どんどんやせ、失禁したり着物の着脱ができなくなった。貧困の妄想になり、一時病的にけちになった。

 妻はお墓のことなど、いろいろなことを忠告してくれた。死ぬ1週間前には「あなたは一人になったら駄目になる。半年経ったら再婚してもいいよ」と。最後まで私につくして死んだ。

 人生を教えてくれた父が、母を亡くして信州の山奥に小さな観音堂を建て、そこで暮していた。私はまだ若くて親の寂しさはわからなかった。私が帰るよというと、弱々しい笑みを浮かべて、もう少し居られないのか、と嘆願した。むこうには世界があるかな、といった。私はないと思っていたが、父はあると思うといい、お前に全力をあげて通信してみようと思うが、受信してみないか、といった。約束したが、実験は40年間続いている。一向に来ない。

 今日の講演も実は心配だったが、来てみれば心配なかった。私は今80歳だが、父が「厚、頑張れよ」と通信してるのではないかと、やっとこの頃思うことができるようになった。


柳田邦男さん

<やなぎだ くにおさん  作家。36年栃木県生まれ。東京大学経済学部卒。72年「マッハの恐怖」で大宅壮一ノンフィクション賞。著書に「航空事故」など多数。>

 長年、死の問題を仕事のテーマにしてきたが、さかのぼると子供の頃から人間の死を考えていた。

 6人兄弟の末っ子で、小3の時戦争が終わり、年明け早々、上から2番目の兄が結核で亡くなった。その前から父が50代で胸を患い、兄が亡くなって気落ちした父が7月に旅立った。

 父の20代の弟がニューギニアで戦死して、昭和21年は葬式ばかりだった。我が家は曹洞宗で、年中お坊さんが来て経を読む。般若心経が「色即是空…」と耳に入ってきた。

 死んだ兄は漢文が好きで、お経をとうとうと読んでいた。リズムが面白く、私は「腹減った…神妙にしろ…」と遊んでいた。

 母が毎朝般若心経を読んでおり、「色即是空」が耳にこびりついた。死んだ兄が説明してくれたことがあった。「色即是空は無の世界だ」と。宇宙の彼方の真っ暗な誰もいない所と思い、恐ろしいな、死んだらあんな所に行くのかと思った。

 それは子供なりに生と死を考えるきっかけになった。小さい時にどういう言葉が頭に刻まれ、どういう環境で育つかが大事だと思う。

 母が84で旅立ち、その4年後、25の息子が自ら命を絶った。再び経の響きが耳によみがえってきた。

 息子が精神科に通っている中で、親としては止めずに通い続けさせることに苦労した。医者から、「親の人生観や生き方、日常の立居振舞が変わることが、子供に何か影響を与えることがある。内観を受けてみませんか」と言われた。

 内観は7、80年前、奈良のお坊さんが、古くからある内観という厳しい修業を現代人にも容易に受けられるようにと考案した。半畳の衝立の中にこもり、自分の身近な人から順に3つの問いを自分に投げかける。1番目はお世話になったこと、2番目は迷惑をかけたこと、3番目はお返ししたこと。これを幼少期から具体的に思い出せという。

 まず母親だ。母にお世話になったこと……と思い浮かべようとするが浮かばない。半畳の中で食事し、9時になるとその場に布団を敷いて寝る、5時に起きる、と繰り返した。3日目、国民学校の教科書がきっかけで記憶がよみがえってきた。

 小6まで来た時、劇的なことを経験した。母に迷惑をかけるといけないと思い、修学旅行に行かなかったことが、「母に返したこと」で出てきた。目をつぶるとセピア色の風景が浮かんだ。その時はっと気が付いた。お金まで借りて用立てたのに行かないと言われ、母はつらかったに違いない。「返している」と思ったことが「迷惑かけた」ことになるのではと、1つのエピソードが大逆転した。

 5日目、突然目の前に曼茶羅が現れた。仏様の周りに、無数の仏様が燦然と輝く光の中で回っている。真中にいるのは自分で、周りの数えきれない人に支えられて、そのぬくもりの中にいるという、ふわっと温かい気持ちになった。  息子は当時大学に登校できなかった。今息子にしてあげることが出来ない、自分自身不安定になっている、息子のこれからの人生を思うと真っ暗になる……その真っ暗の中で曼茶羅を見た瞬間、やっていけそうだという気がした。

 そんなことで内観が終わった。人間は時間が流れていく中で、出会いや経験や読書を通じて様々なヒントに出合う。時間というのはすごいと思います。


香山リカさん かやま りかさん

<精神科医。神戸芸術工科大学助教授。著書に「本当はこわいフツウの人たち」(朝日新聞社)など多数。>

 うつ病は治療すれば治りますが、最近気になるのは、そのようなものではないタイプの死への傾きが、若い人の中で目立っていることです。原因はよくわからない。これから人生が始まる若者が、目的がなくなったとか、やることがなくなったから死のうというのは、理解に苦しみます。

 ネット心中といういやな言葉もはやったが、飲み会でもするように集まって自殺を決行してしまう。生きていても仕方がない、自分はこの先大したこと出来ないからと、死を選んでしまう。幸い死に至らなかった若い人と話をすることがあるが、共通して言えるのは、自分に対する評価が低い。どうせ私なんて、という投げやりの言い方だ。私なんか必要としてくれる人いない、社会に出ても役に立たない、いない方がいいと、自分のかけがえのなさに対して自信がない。子供の数も少なく、大切に育っているはずなのに、自分なんかいなくてもどうせ困らないという感覚を持っている。

 自信がなくて自己評価が低い一方、特別な人間にならなければいけないという気持ちが強く、極端に違う2つの価値観の間で揺れている。

 最近「就職がこわい」という本を書いた。新聞で発表されている就職率は、就職したい人の何割就職できたかの数字。最初からフリーターでもいいと就職活動しない学生が多く、この人たちを含めると、大学を出てすんなりと就職したのは6割位ではないか。これは不況だけではないと思った。活動しない学生の中には、私なんか必要としているところはない、と最初から諦めている子もいる。何で就職しなくてはいけないかと考え、そこから動けなくなってしまう。

 これは結婚でも同じ。親も、「結婚だけが人生ではないから、やりたいことをやった方がいいのでは」となる。では結婚したくないかというとそうではない。何故結婚するかわからず、するだけの動機がない。

 昔はある程度の年齢になったら結婚する、と今ほど考えなくて踏み切った。ところが今の若い人はそこでいちいち何故? と深く考える。結婚とか就職位なら、もしどうしてもしたくなかったら、そういう生き方もあると、世の中も変わってきたが、どうして生きなければいけないのかと、疑問をもって意味を探している若者がいる。中には、私はこの仕事をするために生まれた、という人もいるかもしれないが、自分が今生き続けている意味はほとんどの人は分からないと思う。ただ、だからといって私たちは生きるのをやめようとは思わない。小さな楽しみを見つけて、また明日働こうと思うわけだ。

 生きる意味がない、と死を選択してしまうのは、深刻な社会問題だ。だが、何故? といちいち考え込んでしまう若者が、いったん「私はこのために仕事をするんだ」と思えたら、驚くほど頑張りをみせる。ボランティアや医療・福祉・介護の世界で、人のため・自分のために頑張っている若者がいっぱいいる。

 考え込んで動けない若者がいたら、「あなたを必要としている人、たくさんいるんだよ、光り輝く特別な存在にならなくても、当たり前の自分として生きていくことに十分価値があるんだよ」と、私たち大人がどうやって教えていくか、大事な問題だと思う。

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